山村流 地歌舞 『なら 玉響(たまゆら)の会』 開催の趣旨
一昨年創流二百年を迎えた「山村流地歌舞」は、大坂で生まれた芸術です。江戸時代の天下の台所、経済の中心であった大坂の豪商たちの新しい独自の芸術として地歌舞は創出され、完成されていきました。
かつて、貴族文化としての舞楽に対する武家の文化としての能楽が創られていったように、商人文化を象徴するものとして地歌舞が創られていきました。
そこでは、白拍子の舞や神楽・田楽・散楽・歌舞伎等の伝統の舞や楽が、昇華・吸収されていきました。そこに、舞楽や能楽や地歌舞の中に脈うつ系流性と、新しさを知る事が出来ます。
神楽を学び、仕舞を修し、又地歌舞を舞う時につくづくと、その系脈と新しさを体感し実感させられます。
奈良の地は「大仏開眼の式典」を機に、世界中の舞と楽が集合し、融合を重ねて日本独自の舞や音楽へと発展していった、日本の芸術の発祥と揺籃の地です。
少し遅れて、陸路、海路のシルクロードを経て遠く、中近東より沖縄、そして大坂の堺へとたどりつき、日本の楽器として変質していった、三味線・・・ 地歌の形成。そして、能楽、白拍子、歌舞伎の流れを踏襲した、舞・・・ 地歌舞の創造がなされました。
私は生まれ育ったここ奈良の地・シルクロードの終着点である・この古都ならの地で舞える嬉しさを日々感じております。そして、奈良で定期公演会を持って地歌舞を定着させたいと願ってきました。
吉野の金峯神社、大和神社、手向山八幡宮に舞の奉納を重ね、ならまち格子の家で舞の会を続けてきたのも、そういう思いが根底にあったからと言えます。
文化、芸術のもつ魂、又、舞い手と地方、そして、見手の魂が出会い、触れ合い、響き合い、共感し合える舞の会、相互に内鳴りし合いつつ、うらうらと、あるいはゆらゆらとした、美しく、楽しいひとときを持ちたいという願いをこめて、万葉以来の美しい?たまゆら?の言葉をとり、「玉響の会」と名をつけました。
毎年一回、定期公演会を持ちたいという思いから平成16年に、ご宗家様はじめ、地歌舞にかかわるたくさんの方々のご支援・ご協力のもと「なら 玉響の会」を発足し、公演を開催することができましたことは、何よりも幸せと感謝の心でいっぱいです。
本年は、第5回目の公演を迎えます。今後も毎年途切れることなく奈良の地で公演会を開催し、地歌舞の普及に務めたいと思っています。また若水会一同、古都奈良での会にふさわしい舞台となるよう日々精進をしていく所存でございます。
何卒、皆様のあたたかい御理解と御協力を賜ります様お願い申し上げます。
平成20年 錦秋
若水会 山村 若女