ー地歌 八島ー
西行法師は なげけとて 月やはものを思はする
闇は忍ぶによかよか うななぜ出たぞ 来そ来そ曇れ
また修羅道の鬨の声 矢叫びの音 震動して
今日の修羅道の敵(かたき)は誰そ なに能登守教経とや
あら物もしや 手並みは知りぬ 思ひぞ出づる壇ノ浦の
その船軍(ふないくさ)今は早や 閻浮に帰る生き死にの 海山一同に震動して
船よりは鬨の声 陸(くが)には波の楯 月に白むは剣の光
潮に映るは兜の星の影 水や空 空 行くもまた雲の波の
打ち合ひ 刺し違ふ 船軍(ふないくさ)の駆け引き
浮き沈むとせしほどに 春ノ夜の波より明けて
敵と見えしは群いる鴎 鬨の声と聞こえしは
浦風なりけり高松の 浦風なりけり高松の
朝嵐とぞ なりにけり
三下がり謡い物
作詞者不詳 藤尾勾当作曲
天明2年(1782)年刊『歌系図』等に初出
この曲は、謡曲の「八島」の後半を藤尾匂当が地歌に作曲し、
京都で木の本屋巴遊と云う人が弾きはやらせたと言われています。
しっとりとした作品の多い地歌舞としては珍しく、
この「八島」は、
特に動きの激しい、いわゆる“修羅物”の舞として大きな特徴があります。
内容は・・・、
西国行脚の僧が、讃岐の八島(屋島)の浦で、
勝修羅でありながら妄執の苦しみのために迷い出てきた源義経の亡霊に会い、
壇ノ浦の源平合戦の物語を聞きますが、
夜の明けるとともにその姿は消え失せたというものです。
当流(山村流)では、
あやしく、胸騒ぎする“静”の出から一転して、
激しい船戦(ふないくさ)の臨場感を、
長刀や二枚扇を巧みにもちいて緊迫した“動”の表現へと移ってゆきます。