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吉野の舌さん

貴船に最初に移り住んだのは、吉野の舌(ぜつ)さん!

私が吉野の出身だと告げると、宮司様は言いました。

「そうですか!
 実は、この貴船に最初に住んだのは、吉野の舌(ぜつ)さんと言うんですよ。
 縁がありますね。鬼の子孫だということです。
 神様に叱られて、喋らないようにと舌という名前を付けられたそうです。
 今でも1件(2件?)だけ残っていて、
この神社のすぐ下に住んでいらっしゃいます。」

初めて、貴船神社の社務所を訪ねたときの話です。

びっくりいたしました。

確かに、貴船には以下のような伝説が残っているようです。

「黄船秘書」(黄船社人舌氏秘書)

  昔、天からこの地(鏡岩)に貴船の神が天下ったとき、その家来として仏国

  童子もやってきた。

  童子は、天界のことを一切人間に語ってはならないという掟を破ったので、

  怒った神は童子の舌を八つ裂きにしたので、童子は吉野に逃げて五鬼を従えた。

  やがて童子は許されて貴船に戻り、鏡岩の岩屋に隠れていたが、

  130歳のときに、雷とともに天上に上がってしまった。

  その子は、孫が按国童子という。

  ひ孫までは「牛鬼」の姿をしていたが、

  五代目からは人間の姿になって繁盛し、貴船の神に仕えた。

  祖先のことを忘れないために「舌」を名乗り、家紋は菱に中に八の字を書く。

吉野の鬼というと、役の行者に仕えたという「五鬼」さんのことを思い出します。

その五鬼さんとは・・・

生駒山には、前鬼(ぜんき)と後鬼(ごき)といういたずら好きの鬼の夫婦がおりました。
生駒山で修行をしていた役小角(えんのおづぬ)に懲らしめられ、
それ以来、改心し、役小角の厳しい修行に付き従うこととなったのです。

およそ1300年前のことでした。

役小角は、のちに吉野の山に入り、修験道を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)となりました。
ですから、役行者の像の隣には、必ず前鬼・後鬼の夫婦の鬼が寄り添っています。
して鬼の夫婦は、紀伊山地の奥深くに住み着いて、5人の子供をもうけました。

それが、五鬼熊(ごきくま)、五鬼継(ごきつぐ)、五鬼上(ごきじょう)、五鬼助(ごきじょ)、五鬼童(ごきどう)の五家が連綿として山中に住み継いで、大峰山を守護し、修行者を誘導したと云うことです。
現在は、五鬼助家だけが小仲坊を守って残っているらしいです。

五鬼・・・丑鬼・・・牛鬼・・・。

九州地方に興味深い伝説が残っています。

ある谷間の深い淵に「丑鬼」と呼ばれる人びとに恐れられているところがありました。「丑鬼」とは、頭が獅子で体は牛の姿をした水中に住む魔物のことです。
それは、雨乞いのために牛を犠牲にして祈ったものが化けて出てくるともいわれ、恐れられていました。
とある戦いの折、その丑鬼のいわれに気づいたある軍勢が、牛の角に松明をつけて放し敵軍をやっつけたという事です。

貴船神社(吉野の丹生川上神社でも)では、古来黒馬を犠牲にして雨乞いを祈ったとされていますが・・・、牛も生け贄とされたんでしょうか?

牛の角に松明をつけて・・・と聞くと、
つい、『鉄輪』に登場する鬼の徳を思い出します。

夫に離婚された女性が、嫉妬の余り生きながら鬼女となり、別れた男を呪詛する話です。
そのときの姿が、顔に朱を塗り、体にも丹(たん・赤い色のこと)を塗り、
頭には鉄輪(五徳)をかぶり、松明を付け、口にも松明をくわえます。

何か、関係があるのでしょうか?

色んな伝説が重なって物語が出来たのでしょうが、
『鬼』・『牛』というキーワード一つとっても奥深く、興味が尽きません。

そういえば・・・、

鞍馬の山で烏天狗について修行をしたといわれる源義経の幼小名も“若丸”と言い、
彼もまた、吉野に逃げ、吉野に数々の伝説を残しています。

吉野と貴船・・・。

縁が深いようです。