昨日の、手向山八幡宮宵宮祭の奉納舞は、
おかげさまで、
無事に終了いたしました。
ありがとうございました。
-手向山八幡宮拝殿-
あいにくの
手向山八幡宮本宮祭・転害会(てがいえ)が行われました。
八幡宮祭が転害会と呼ばれるようになったのは、
祭礼のお旅所となる門(佐保路門)の位置が大仏殿の西北にあり、
吉祥の位置で害を転ずる意から転害門とも呼ばれたところから、
祭礼の名前にもなったようです。
この転害門は、
三間一戸八脚門という格式高い形式で、
平重衡の兵火(1180年)、
三好・松永の戦い(1567年)、
の2度の大火にも焼け残った、
東大寺創建当時の姿をとどめる天平時代唯一の遺構です。
また、平家の遺臣悪七兵衛景清が
源頼朝を暗殺しようとして、白張浄衣の姿に身をやつし、
この門にひそんだとの伝説から「景清門」ともいわれています。
そして、
聖武天皇が大仏建立の守り神として『宇佐神宮』から八幡神を勧請し、
東大寺の守護神となったわけですが・・・、
勧請されて東大寺へ入る折この『転害門』を通ったといわれ、
これが『転害門』を御旅所として行われる『転害会』の由来となっています。
肝心の昨日の奉納舞の報告ですが、
お社に着いて、宮司様にご挨拶をして、
控えのお部屋に入ろうとすると・・・、
観光シーズンの奈良の土曜日でしたが・・・、
賑やかな東大寺とは異なり、
この手向山さま付近は、観光客もまばらです。
そのぶんひっそりとしていて、落ち着いた佇まいがあり、
奉納をさせていただくには、鳥のさえずりの声も聞こえて、心地よいお社です。
地元の氏子の代表さまと数少ない観光客の方々のも立ち会ってもらい、
奉納をさせていただきました。
今回は、
門人代表として、若紬女(わかゆめ)が山村流の流儀の舞である『山村舞』を奉納しました。
春の大和神社と、
秋の手向山八幡宮には、
門人の名取が交代して舞の奉納をしてもらい、
若水会を代表して、芸に向上を祈願してもらうのと同時に、
自らも心を正して、神前に精進を誓い、感謝を申し上げます。
心が引き締まるひとときです。
- 地歌 八島 -
私は、
先日のミュージアムでの座敷舞の演目と同じ、『八島』を奉納させていただきました。
貴族社会に変わって、武家政権の象徴となった平氏一門の台頭、
そして、源平の戦いへと・・・。
武士の壮絶な権力争いは、
ここ奈良の社寺にとっても歴史の大きな節目となりました。
悠久の時を越えて、
その歴史の重みや先人の思いに耳を澄ませ、奉納をさせていただきました。
奉納させていただいている途中で、
ふと・・・、
その歴史の流れを感じたとき、
いま、このときに、この場で、舞を奉納させていただいていることを思うと、
非常に感慨深いものがありました。
日本人としての自分を自覚をし、
その誇りを忘れず、
舞の精進をしてまいりたいと心に期した瞬間です。
手向山さまは、紅葉の名所でもあります。
早くも、もう少し色づき始めていました
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