誰を松虫なき面影を 慕う心の穂にあらわれて
荻よ薄よ 寝乱れ髪の
“穂・ほ”という言葉には、
表面に出て目立つもの。ぬきんでていること。外に現われ出でること。
槍の刃の先、筆の刃の先など、すべて尖ったものの先。
また、そのもの。「国のほ」「波のほ」等・・・。
という意味が含まれているようです。
古代の人たちは、神様(霊)は尖ったもの、ものの先端に宿る・・・憑(つ)くと考えていたようです。
ですから、『虫』だけだなく、薄などの穂も単なる植物としては見ていなかったのです。
そういう目で見てみると・・・
この歌詞の本来の意味が少し見えてくるかもしれません。
淋しい秋の夜・・・
(現代の夜と違ってほんとうに暗くて怖かったと思います。明かりといえば月明かりだけの風景を想像してください)
リーンリーンと呼ぶ松(待つ)虫の音に誘われ・・・
月に照らされた荻や薄の穂に・・・
愛する亡き人たちの面影を・・・
身を以って感じ、見えたのかもしれません・・・。
いえ きっと立ち現われたのでしょう。
今とちがって、
あの世とこの世がもっと近かったのでしょう。
というより・・・
もっと一体感を持って生活していたのかも知れません。
『虫の音』・・・
現代の我々が見失った大切な感覚を見直させる作品のような気がします。