今回のならまち格子の家での上方舞の公演では、私は『虫の音』を舞わせていただきます。
『虫の音』は、私流(山村流)にとりましてたいへん大切な曲として扱われております。
先々代(四世宗家)の宗家の会におきまして、―代々舞人をかえて伝える―と題しまして毎年一人必ず幕開きで舞うことが恒例となっていました。
序列の上のお師匠さんから順番に舞って伝えていくということで、振りを習うのも自分の前年に舞った人から教えてもらうのです。
舞台を無事に勤めることはもちろんですが、各々が責任を持って次代に正しく教え、伝えていかなければならないという…たいへん重い曲であったと同時に山村流の舞手にとっては憧れの曲でもあったわけです。
ですから・・・その『虫の音』を舞うときは非常に特別な思いと緊張があります。
地歌『虫の音』は、謡曲「松虫」キリの部分の詞章を取り入れたものです。
その内容は・・・摂津国の阿倍野の辺り・・・ある夜 酒売りの市人の前に、松虫の鳴く音を愛し、その音に惹かれて野辺に分け入ったまま草むらの中で死んでしまったという男の友人が、 松虫の音に誘われて亡霊となって現われます。市人がその亡霊のために回向をすると、亡霊は弔いに感謝した上、過ぎし日の二人の思い出を語り、千草に集く虫の音に楽しみ、舞います。やがて・・・明けの鐘の音とともに名残惜しげに消え失せて、あとは茫々と生い茂る野原に虫の音だけが残るばかりである・・・という筋になっています。
能の「松虫」では、男同士の濃厚な友情に加えて恋慕の情が描かれた異色の作品となっています。
地歌では、そのような筋からは離れて、秋草にすだく虫の音… 特に、松虫の鳴く声に感じ入り、秋の夜のしっとりとした風情や、秋の野辺の侘しい情緒を想い、亡き人への抑え難い恋慕の心と寂しさを詠ったものとなっています。
舞手にとって、このなんとなく寂しい秋の夜の雰囲気を出すのは容易なことではありません。
しかし、曲調も歌詞もなんともきれいでその雰囲気を実によく醸し出していて、聞かせどころの多い作品です。
特に、中半の手箏の部分は虫の音の擬音としての表現がおもしろく、虫の合方としてのちの長唄「秋の色種」等に取り入れられています。
なかでも興味を引くのは、虫の鳴き声の表現です。
現在私たちが使っている擬声語とはずいぶんと異なります。
以下は、その部分の抜粋です。
面白や 千草にすだく虫の音の 機織るおとは
きりはたりちょう きりはたりちょう
つずれさせちょう ひぐらしきりぎりす
いろいろの色音の中に わきて我が忍ぶ
松虫の声 りんりんりんりん
りんとして夜の声 冥々たり
なんとも素敵だとは思いませんか。
虫の鳴き声が、機で布を織る音のように聞こえると・・・。
きりはたちょう・・・
機織虫は、今でいうキリギリスのことらしいです。
私は何て表現しているかなあ?
ギィ―チョン? (あまり美しくない)
昔は、秋の夜長にそれぞれの家から機を織る音が聞こえていたのでしょうか?
つづれさせちょう・・・
着物の破れほころびを刺し繕えの意味だそうです。
家人の夜なべをしている姿が思い起こされます。
今は、繕い物もしなくなってしまいました。
これは、こおろぎの鳴き声です。
こおろぎって どんな鳴き声でしたっけ?
ひぐらしは、蝉の一種で
たしか、カナカナカナ・・・と儚げに鳴きますよね。
私は、いつもこのカナカナカナ・・・を耳にすると、ああもう夏も終わりだなあと寂しくなります。
松虫の鳴き声・・・
リ-ン リ-ン リ-ンでした?
いえ、たしか・・・
チンチロ チンチロ チンチロリン ですよね!
ここで言う松虫は、鈴虫の古名だそうです。
鈴虫と松虫の呼び名がいつ入れ替わったのでしょうか?
それにしても、おもしろや!です
虫の鳴き声もおもしろや!ですが、
日本人の感性に おもしろや!