『袖の露』
袖にかかる露。袖が涙にぬれることを言う。
美しく、情緒のある言葉です。
古来、日本人は『袖』という言葉を使って多くの情景描写や心情を表現してきました。
それほど、着物の『袖』が単なる衣服ではなく生活と共にあり、なくてはならないものだったようです。
振袖・留袖・筒袖・広袖・元禄袖・薙袖・巻袖・・・
袖にもいろんな種類があります。
その時代時代によって袖の形が変化し、袖にもひとつの歴史があります。
また、袖の長さや形によって、その人の年齢や身分も異なっていたようです。
そういう意味では、非常に合理的な一面もあります。
現代の服装は、多種多様に富んでいて一目見ただけでは、その人の年齢はおろか職業もわかりません。
それがいいかどうかはわかりませんが・・・。
『袖にすがる』
哀れみを請う。
『袖にする』
おろそかにする。すげなくする。
『袖振り合うも他生の縁』
ちょっとした出来事もすべて宿世の因縁による。
『袖振る』
別れを惜しみ袖を振ること。
『袖を片敷く』
衣の片袖を敷いて独り寝をする。
『袖を絞る』
涙を流す。
『袖を連ねる』
多くの人がつれだつ。
『袖を引く』
人を誘う。そっと注意を引く。
『袖をひろぐ』
物乞いをする。
『袖を分かつ』
関係を絶つ。
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『袖』を引用した言葉が、他にもたくさんあります。
こうして見てみると、ずいぶんと悲しみの引用が多いようです。
昔より多くの人が袖で涙を拭ってきたようです。
『袖』は、古代には霊魂が宿るものとされてきたようです。
「袖振る」という動作には、男女の間で別れの際に行われた愛情表現であったと同時に、相手の魂を招き寄せる。または、そのようにして無事を祈る気持ちが含まれていたようです。
「袖を通す」・・・衣服を着る。特に初めて着るときに引用しますが、古代の人たちは単に着物を着るのではなく、衣服に宿る魂や、作ってくれた人の想いを身に付ける感謝の気持ちを表していたんではないでしょうか。
私の故郷、吉野の山に“袖振山”があります。
静御前が舞ったされる勝手明神の背後にある山で、天武天皇紀に天女が袖を翻して五回舞ったと伝えられ、五節の舞の起源とされています。
なんとも、ロマンに満ちています。
地歌の中にも、袖をテーマにした舞が他にもあります。
『袖香炉』『袖頭巾』など・・・
古来日本では、舞においても袖を巧みに使って表現してきました。
私たち舞手にとって、『袖』はなくてはならない表現手段のひとつです。
『袖』が魂(たましい)そのものであったことを認識すると・・・袖を持つ手にも気持ちが変わり、やさしさが増すかもしれません。