地歌 山村舞
ひとさし舞わん 山むらの
さす手ゆかしき 地歌舞
くの字のこしは だいじなかなめ、
さばく扇も おしえごと、
むかい同士に しめす振り
左手振りの むつかしく
ちょっとそむけて うらざくら
はなのかずかず 花の丸
水の流れも 末ながく
いそしみ舞いて
世々に 伝えん
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『山村舞』は、山村流のお流儀の曲です。
名取の試験曲ともなっており、私流においては大切な曲というよりは『特別な曲(舞)』です。
舞の中に流儀の真髄がこめられているようで、舞うに当たってはいつも特別な想いがあります。
山村舞には、山村流の舞の基本となるべく所作や振りが入っています。
お稽古を始めてある程度年数がたつと(個人差があるので何年とは言えません)、お師匠さんからこれぞと思われる方は山村舞をしっかりと稽古をしてもらい、名取の試験を受けるというわけです。山村舞が舞えなければ、名取になれないわけです。
言い替えると、山村舞が舞えるようになると自然のうちに山村の基本が身(実)に付いているということになります。
しかし、この基本というのが曲者(くせもの)で随分と難儀です。「できた!」と思っていても、毎回毎回気付かせられることがあり、構え方、足の出し方ひとつとっても、はたと考えさせられることがあります。
ですから… 流儀の流れを伝えていくと思ったときには、教えるということの重責を感じます。
ましてや、自分が人前で山村舞を舞うというときはもっと難儀です。自分のその時の技量、心持ち、境地がさらけ出されるかと思うと手も足も出なくなりそうです。
それだけにありがたい曲です。
『初心忘るべからず』の世阿弥の言葉が聞こえてきます。
山村の舞の先人達と舞を通して会話をすることを教えてくれる曲です。
舞う前には、襟を正さずにはいられず、
しかし、舞い終わると何とも言えないさわやかで
すっきりした気持ちになり
わたしは、大好きです。
水のながれのように 山村の舞が舞えるようになれたら・・・と
思っています。