ふと、
ものまね ー芸を学ぶということー ということについて、
考えていたら
思い出したことがありました。
かつて、オーストラリアを旅した時のことです。
原住民のアボリジニが魚を取るため、
水辺にサギ(鳥)と化して、じっと魚を狙う写真を見せてもらったときに、
「 ものまね 」芸をものする者として、
芸の原点を見たような気がして、深い感銘を受けたことがありました。
それは・・・、
魚を狩るという、狩の技能としてのサギ(鳥)の真似 、
あるいは、サギ(鳥)への擬態です。
それも遊びではなく、
生きるための真剣な ものまねの技(わざ)に新鮮な驚きと、
私には到底及びもつかない ものまねの世界に心洗われました。
生きるための必死な 祈りにも似た ものまね、
命丸ごとをかけて、そのものになりきる ということ・・・。
師の教えを「まね」て、うつし取る。
ー 学ぶ ー まねぶ 真似ぶ ・・・。
「まね」という言葉は、微妙で、奥深く、面白い言葉です。
「まね」という音は、真似・真如 という漢字が表れています。
「真如」は、「マニ」 ・ 真の如し ・ 神の教えのまにまにー ・
つまり、 神の教えのままにー 。
真似 ・ 真に似せる ・ 真の如くにまねうつす 。
では、
「擬」するとは・・・?
「擬態」となると、少しわかりやすくなるような気がいたします。
昆虫の擬態・動物の擬態について考えてみます。
- マルムネカレハカマキリ - 海野和夫デジタル昆虫記より
枯れ葉カマキリの優れた擬態能力は有名です。
カマキリが見事に枯葉そっくりに擬態している姿には驚嘆いたします。
枯れ葉の姿 と化した カマキリ・・・。
それは、枯れ葉と昆虫の両義性をもった存在としてのカマキリ。
あくまでも、
いくらなりきったとしても、彼は 、カマキリです。
カマキリは、なぜ枯葉に擬態することを思いつき、
どこで、その精密で優れたデザイン力を身につけたのでしょうか?
カマキリは、天敵の眼から逃れるため、命がけでしかも自身の体を改造してまで、
枯葉に擬態したのです。
ふしあな日記より抜粋
美術の世界で模写ということがあります。
本物の絵をそっくりそのままうつすということです。
ときおり本物よりもすぐれた作品ができることがあります。
一般には、本体のほうに価値があり、模写には価値が劣るとされます。
本物より優れた模写の作品を、高い価値のあるものとして本物と同等の取り扱いをされるそうです。
その模写の作品は、通しものと呼ばれるそうです。
模す・擬す・うつしもの・・・。
舞の世界でも、
師匠の芸をうつすところから始まります。
真似・擬態
「うつしもの」が、「真」 「実」 ・ 真の如く に転化するあたりが、
たいへん興味深く思います。
そのものになりきるということ・・・。
そのものが自分にのり移り、憑依する。
「そのもの」 であると、観る人が感じる、思いなす、みなす。
そのものと、自分との関係と、そして、第三者の目―。
芸を学ぶ (真似る) と云うことの面白さと、難しさ、悩ましさをつくづく感じます。
世阿弥は、
仕手の「花」と、 見手の「花」 の分け目を語っています。
真似・うつし・擬態のあり様を見る 第三の眼のレベルが高ければ、
ものまねのレベルも自ずと高くなるのではないでしょうか。
素晴らしい第三の眼が欲しいと望んでやみません。