なら 玉響の会 作品紹介 ー八島ー
玉響の会は、もう終わってしまいましたが・・・、
当日までに間に合わず残っていた作品紹介をアップさせていただきます。
(舞台が近づくにつれ雑用が多く、全作品の紹介ができずにいたのが、心残りなので・・・)
『八島』の舞手は山村若女です。
地歌『八島』は、とても好きな作品ですが、舞うほどに気を遣う大変難しい作品です。
女性の立場で男性の修羅の世界を舞うというのは、そういう男性の世界に対する憧れや変身願望も相まって、大変気持ちにいいものどもあります。
しかし、当時の生き死にかけた戦いというものの物凄さを上品に抑えた表現で舞うということをかんがえると、そう簡単ではありません。
舞の技術においても、薙刀や二枚扇を巧みに使って、難しく、能から取られた本行物の重たい作品です。
若いうちは、パワーで舞い切れますが作品の本質を理解することは難しいです。
年齢を重ねると、技術や中身の充実は出来てたとしても若い時のようなパワーありませんので、その迫力は胆力がないと表現できないと思います、
山村流では、それに付け加え繊細な二枚扇の扱いで具象的な船軍の様子を表現していますので、大胆さと繊細さを持ち合わせ、非常に気を使います。
私は、今回本舞台(本衣装付の会)での八島は、4回目となりますが、年を重ねたからと言っていい舞台ができるとは限らないと、自分に言い聞かせて、緊張感を持って本番を迎えました。
上記写真は、初めての『八島』の舞台写真です。
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地歌 八島
三下り謡い物。作詞者不詳。藤尾勾当作曲。
天明二(一七八二)年刊『歌系図』に曲名、同八年に『新大成糸のしらべ』に詞章初出。
能「八島」をもとにした本行物の作品です。しっとりとした作品の多い地歌としては珍しく、この「八島」は、特に動きの激しい、いわゆる〝修羅物〟の舞として大きな特徴があります。
内容は、西国行脚の僧が、讃岐の八島(屋島)の浦で、勝修羅でありながら妄執の苦しみのために迷い出てきた源義経の亡霊に会い、壇ノ浦の源平合戦の物語を聞きますが、夜の明けるとともにその姿は消え失せたというものです。
舞は、あやしく胸騒ぎする〝静〟の出から一転して、激しい船戦(ふないくさ)の臨場感を、長刀や二枚扇を巧みにもちいて緊迫した、〝動〟の表現へと移ってゆきます。
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時代と人の世は、風をおこし様々な事件を引き起こします。
そのたびに生身の人間の人生を巻き込み翻弄し、こともなげに移ろって行くものです。
源平の戦いは、日本の歴史に残る大動乱の嵐が吹き荒れた「大事件」でした。
時代の嵐は、武士(もののふ)の命と魂をもてあそび続けました。
作品「八島」は、途方もない人生のドラマを生き尽くした修羅の化身であった義経の、物狂おしくもまた、救い難い宿業の物語です。
そして、
鳴動する水底に今なお彷徨(さまよ)い続ける、武士達の無念と怨念と虚しさの物語です。
歴史は移ろい、都度、時の風は起こり、そのたびに人々は心を高ぶらせ、懲りることなく波乱の海に乗り出してゆきます。
そして亦、地獄・餓鬼・畜生・修羅の人生を繰り返し、その世界に酔うのです。
それ故にこそ「八島」と云う作品は、時代をこえて人の心を打ち続けるのだろうと思います。
煩悩即菩提・三毒菩提 しかしてまた、遊於娑婆・大欲即清浄とかや。
-山村若女リサイタル『放ち鳥』解説より-