夏休みの終わりに・・・。

夏休みの最後の週末に、久しぶりに家族で温泉温泉旅行に行ってまいりました。
どこに行こうか?ということになりましたが・・・、
電車電車1本で行ける近場でという条件と、
何しろ前日に旅行社に飛び込んだので、取りあえずまる空いてるところで!
そして、
料理お料理のおいしいところということで・・・、
北陸の山中温泉に決まりました。
山中温泉は、松尾芭蕉が甚く気に入り『有馬・草津』と並んだ三大名湯の一つです。
“山中や 菊はたおらぬ 湯の匂 ”
奥のの細道に紹介され、詠まれています。
私は、北陸では片山津温泉温泉と和倉温泉には行ったことがあったのですが、
山中温泉は初めてでした。
温泉の良さはもちろんのこと、風光明媚などこか温かさのある山あいの温泉地で、
芭蕉が好んだというのも納得できました。
大正ロマンを感じさせる『黒谷橋』の傍に、私たちの泊まった旅館は建ち、
そのすぐ下を『鶴仙渓』の清流が流れていました。
そこから下流にかけて・・・、約1キロ余りの素敵な自然遊歩道が造られ、
ゆったりと散策することができます。
天使マイナスイオンと木プトンチットをたっぷり浴びて、癒されそうですよ。
また、
遊歩道入り口付近には『芭蕉堂』があり、
「行脚の楽しみここにあり」と喜んだとされる、景勝の地です。
そのすぐ傍に、こんな素敵なキラキラ沸き水を見つけたました。

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また、芭蕉堂を少し上ったところに、
木地師の祖とされる“惟喬親王”を祭った東山神社があり、興味を持ちました。
ここ、山中の名産“山中塗り”を伝えた漂泊の民・木地師です。
私の故郷・吉野にも、木地師(惟喬親王)伝説があり・・・、
“木地師”と聞くと・・・、はるか古代へと思いが飛び、
謎めいたロマンを感じるからです。
伝承によると平安時代の初め頃、
文徳天皇の第一皇子惟喬親王は皇位継承の機会を失い、
僅かの家臣を連れて近江国小椋谷に入山して幽棲されました。
小椋谷で住まわれることになった親王は、
法華経の巻物のヒモの原理から、綱を引いて軸を回転させる手挽きロクロを作り、
椀や盆を製作する木地挽きの業を里人に伝授したと伝えられています。
惟喬親王は木地師の元祖とされ、
この地から多くの木地師が日本全国に散らばっていったとされています。
小椋谷から程遠くない山中に、
惟喬親王伝説を抱えた木地師たちがそう遅くない時期に移り住んだのでしょう。
ちなみに・・・石川県の観光物産館では、次のように紹介されています。
<山中塗>
平安の頃、大聖寺川上流の真砂に越前の国から移住した木地師が
椀・盆などの日用品や山中温泉の土産品を作ったのが始まりといわれている。山中漆器は当初、
欅・水目桜・栃などの木目を生かした挽物主体の漆器であったが、
江戸期には塗りや蒔絵の技術も導入された。
また、江戸末期には糸目挽きが考案され、
現在では千筋・毛筋・稲穂筋・親子筋・飛びカンナ筋など数十種の加飾挽きがあり、
その高度な技術が特徴となっている。
同様に未溜塗・独楽塗・高蒔絵など塗りや蒔絵方でも高く評価されている。

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