なら 玉響の会 演目紹介 -三国一-

なら 玉響の会 作品紹介 -三国一-


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上方歌『三国一』
山村若女・第3回 なら 玉響の会

今回の紹介は、『三国一』を舞う『山村若日女』です。

若日女は、玉響の会 第3回目から常連として、出演しています。

私の門人の会『若水会』を見て、入門をしてきてくれました。
幼い時に親に連れられ入門したのではなく、自分の意志でこの世界に入ってきたので、
他の出演者よりはスタートが少し遅いですが、そのぶんお稽古熱心の努力家です。

若い門人たちからは、『リーダー』と称され慕われている頼もしい存在です。
私も、彼女が楽屋のお手伝い等をしてくれる時は頼らさせていただいています(^_^)

丸々とした大きな目が愛らしく、舞台では付けまつげがいらないほどで羨ましい限りです!

さて、今回の『三国一』は、大変重責を感じて舞台を踏むことになるでしょう(^-^)

というのも・・・、『三国一』は、はっきり言って大変難しい作品です。
当流では、奥許しの演目とされ、簡単に舞えるものではありません。
作品としてもつかみどころがなく、音も単調で、振りもあまりありません。まずは、腰が据わってないと舞えるものではなく、何よりも雰囲気も大事です。とにかく異色の作品です。

実は・・・、私まだ一度しか舞台にかけたことがありませんので、私自身、若日女の稽古を付けながらたくさん学ぶことがありました。

この10回の節目の会ということに免じて、あえて勉強熱心な若手に冒険をさせたということです。
これは、私にとっても大きな冒険でした。

なんとか、皆様にお見せできるような舞台になるのではないか!と感じています。
いえ、きっといい舞台になり華を開かせてくれるでしょう!!!

ぜひ、みなさま楽しみにしていただきたいと思います。

若日女の舞台写真『からくり的』です。

若日女は、この『からくり的』で、なにわ芸術祭新人特別賞を頂戴いたしました(*゚▽゚*)

 若日女・からくり的

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上方唄 三国一(さんごくいち)

『三国一』は、文政十一年(一八二九)一月、三代目中村歌右衛門が大坂角の芝居で演じた「天満宮(てんまんぐう)花(あい)梅(じゅの)桜(めい)松(ぼく)」の茶屋の場面で、
壬生狂言の“桶(おけ)取(とり)”の所作事を用いたものが上方唄として伝わったとされています。

壬生狂言は、京都壬生寺で鎌倉時代に始まったものです。
古来庶民に親しまれてきた無言の仮面劇です。なかでも“桶取”は壬生狂言の第一とされ、たいせつに扱われてきました。

その大意は、壬生寺近くに住むお大尽が、毎日桶に水を汲み仏前にお供えに来る美しい白拍子を見初め女を口説く。それを知った大尽の妻が嫉妬をしたので、女は巡礼に出、男も追っていく。後に残った妻が、自分の不器量を嘆く という筋です。

地歌では、三国一の花嫁と祝福され八千代まで変わらぬと誓って結ばれたのに、夫が妻を裏切ったと詠い始め、女の巡礼先は紀州の粉川寺―「父母の恵みも深き粉川寺」のご詠歌に対し、女房は自分を醜く生んだ父母を恨む― という好対照で滑稽さを演出しています。

かつては山村流の舞台でも壬生狂言と同様に、最後に焙烙(ほうろく)をぶつけて割っていましたが、
客席に飛ぶと危ないので扇に代えています。

山村流では、奥許しの曲として大切に扱われている作品です。

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