なら 玉響の会 演目紹介 -鐘ヶ岬-

なら 玉響の会 演目紹介 -鐘ヶ岬-

格子の家・鐘ヶ岬 
『鐘ヶ岬』  山村若瑞
ならまち格子の家上方舞鑑賞会にて

今回の紹介は、『鐘ヶ岬』を舞う『山村若瑞』です。
若瑞は、私の娘ですので、紹介というのも何か・・・正直しにくいものです。
若瑞が『鐘ヶ岬』を舞うのは、何度目でしょうか?
若水会の本会で衣装付けでも舞っていますし、格子の家や東京金田中の座敷等の素の会でも舞っています。
このように紹介すると、本人は嫌で、舞いにくいものです。
『鐘ヶ岬』は、地歌の中で華やかな演目ですので、
若い人たちにとって舞い難い地歌の演目の中で比較的多く舞われる演目です。
歌舞伎舞踊の女型の最高峰と言われる、『京鹿子娘道成寺』のエッセンスを抜き出して作られたような地歌舞です。
恋しさゆえに、想う人を追って大蛇となり、挙げ句の果てにその恋の炎で相手を焼き殺してしまうという・・・、
女(娘)の心情や女のもつ業(ごう)・性(さが)をテーマにした演目です。
ですので・・・、
年齢的には地歌の演目としては、頃合だと思いますので、
舞台で時分の華を開かせてくれることを願っています。
古典の名曲のすごさは、何度舞ってもその振りや音曲の素晴らしさに圧倒され、尽きることがないことです。
その時、その年齢によって感じ方や物の見方も変わり、舞の技術も変わります。
何度舞っても決して同じものはありません。
年齢がいったからといって、良い舞台ができるということもありません。
芸歴を重ねたからといって、うまくなるとは限りません。
その年齢、その経験、その時にしかできない、その時最高の舞台にしていくことが肝心です。
同じものを何度もくり返し稽古する中で会得するものは多いと思います。
山村流のお手本的な匂いのする(私見ですが・・・)『鐘ヶ岬』から、
そのようことを体得して欲しいと願う親心かもしれません。
実は、私にとっても思い出深い曲です。
中学生の頃だったでしょうか・・・、
亡き師匠(五世宗家)が、先輩弟子に厳しい稽古をつけているのをよく見ていました。
板付きの構えの型から右・左と二つ足を踏んで七歩歩いて始まるわけですが、
何度も何度もやり直しをさせられ厳しく指導されているのを目の当たりにして、
こちらも稽古をされているように息をするのもためらうほど緊張して待っていた覚えがあります。
その反面、私も早く厳しい稽古を付けてもらうようにならないと!と思っていました。
師匠は、出を大事にされ、出ですべてが決まるとよく言われていました。
構え方・目の付け方・七つ歩く姿・間などを指導されていたことを思い出すと、手も足も出なくなりそうです。
そのように憧れて見ていた演目がさらに思い出深い曲となりました。
それは、
四世宗家の一周忌の追善の会(宗家の会)で、初めて一人で『鐘ヶ岬』を舞うことになりました。
当時の宗家の会は、番数が少なく、私たち若手は群舞でしか出演することができませんでした。
それが、「若女ちゃん、何か好きなものを一人で舞なさい!」と思ってもみなかったことを言われ、
私は、すぐにこの『鐘ヶ岬』を選びました。
大先生(四世宗家のご主人)に、よく稽古をつけてもらい舞台に立った思い出深い曲です。
下記写真は、その時の舞台写真です。
(たまたま白黒ですが・・・、もちろんカラーのあった時代ですよ(^O^))

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『鐘ヶ岬』  山村若女

あまり、紹介という感じの文章ではなくなってしまいましたが・・・(>_<)、
では、演目の概要紹介です。

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鐘ヶ岬(かねがみさき)


有名な歌舞伎舞踊「京鹿子娘道成寺」の踊り地の部分を地歌に直した舞です。
その原型は、能の『道成寺』という作品で、和歌山地方の『安珍清姫説話』を基に作られました。

若い熊野修験者に恋をした娘が愛欲の炎を燃やして後を追い、
修験者は道成寺の鐘の中にその身を隠します。
娘は大蛇と化してその鐘に巻き付き、鐘もろとも修験者も溶かしてしまう物語です。
その後日談として、広く道成寺物の作品は作られました。

能がかりの荘重な出、そして初々しい娘の色香を舞い、華やかな鞠唄・廓づくしで舞振りの面白さを見せ、
最後に再び鐘に執念を移して舞い納めます。
地歌舞としては物語性よりも女(娘)の業や性を描くことに主眼がおかれています

能の表現を、歌舞伎の表現を踏襲しつつ、
地歌舞独特の表現として煮詰められているあたりを、鑑賞していただけたらと思います。

道成寺縁起

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