多神社(多坐弥志理都比古神社)・例祭奉納舞
◆日時・・・4月19日(日)午前11時~
◆場所・・・多神社拝殿にて
◆奉納演目◆
山村若女 地歌舞『八千代獅子』
※11時よりの式典の中で奉納させていただきます。
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皆様いかがおお過ごしでいらっしゃいますか?
ずいぶんとご無沙汰をしてしまいました。
4月1日に氷室神社での奉納、
4月7日は例年通り大和神社での奉納を無事に終えさせていただきました。
両日とも雨が心配されましたが、
お陰様で奉納本番の時には雨も上がり落ち着いた雰囲気の中でお勤めできました。
感謝申し上げます。
フェイスブックを始めてから、ブログの更新が怠ってしまい、
皆様への報告が遅くなりどころか後になってしまい大変申し訳ございません。
さて、今春も嬉しいことに・・・、
昨年ご縁ができました多神社様にて、舞を奉納させていただきます。
多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ)
多神社は、太安万侶を輩出した多一族の祖神である神八井耳命をお祭りしています。
実は、以前、
多氏の子孫であられる神社音楽協会の 『多静子』 先生に
神前神楽『浦安の舞』を 教えていただく機会を得ました。
舞のルーツを体感したく、春日大社と橿原神宮に3年ほど浦安の舞の講義を受けに通いました。
神楽を習えたことも然ることながら、
多静子先生からは、
今も心に深く残る 舞に対する真摯な心根を教えていただきました。
『人に舞を教えるということは、その人のレベルまで成り下がって教えることだから、
師となる者は、人の3倍稽古をして元に戻ると思いなさい!』
人に教えないと上手になれない、
上手になるため、精進のため、教え始めた私にとっては、目からウロコの言葉でした。
また、
多静子先生に初めてお目にかかったとき先生がおっしゃいました。
『日本舞踊をされてる方?神楽が舞えるかしらね?
あら、山村流の地歌舞をされているの?
じゃあ、舞えるかもしれませんね!』
多静子先生は、昨年お亡くなりになりました。
92歳とお聞きしています。
私がお会いしたときは、今から約10年前ほどです。
一本筋の通った、厳しく凛とした佇まいが印象的でした。
直接ご指導を受けることができたことが私の宝となっています。
多静子先生との縁を作ってくださったのが、
この多神社の現宮司・多忠記様です。
多氏の子孫の方です。
ご縁に感謝申し上げ、
精一杯の舞を舞わせていただきます。
今年の演目は、
御代の平治を祈った『八千代獅子』です。
『おおれんぞ』…大和では祭りのことを、れんぞと呼ばれたらしい。
由緒
当社は神武天皇の第二皇子神八井耳命(多族の祖神)この地に降って天神地祇を祀る・・とあり自ら祭祀者となって,弥生文化の発達とともに大和平野における大規模な稲作農法の開拓者である多族の祭祀(まつりごと)の中心地として,社名にも伺い知ることの出来る水知津彦火(日)知津姫の二柱の神を古くより祀り多族の祖神である神八井耳命また末孫の日本最古の史書古事記,日本書紀簒録者である太安萬侶卿を学業の守神とし,また小子部すがるの命を保育の守神として広く崇啓され,ことに受験期には受験合格祈願の人々でたいへん賑わいます。
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