去る11月17日、山村若禄次師匠が永眠されました。
早いもので、本日二七日の法要が営まれ、
ご霊前に手を合わせに行かせていただきました。
8月に心筋梗塞で倒れられて入院・・・、
9月に退院された後は、お元気にお稽古に復帰され、
10月のご自分の会『若登会』では、
ご指導されるばかりか、ご自身も舞台を勤められました。
そのあともお稽古に舞台にと、回復されているご様子に見受けられていました。
実は・・・、
私の『玉響の会』の下あわせ(リハーサル)も監修していただき、ご指導を受けました。
ところが、それが最後となり、再入院されました。
またお元気にお帰りになられるものと信じておりました。
私も幼い頃よりお世話になり、
舞台では、後見を何度となくしていただきました。
四世宗家の頃より、いつも傍にいらっしゃってあたりまえのお師匠様でした。
会の時は必ずといっていいほど舞台の袖でいらして、
一人ひとりの舞台が無事終わるようにと見守って下さって、
楽屋でお休みになっていることのないお師匠様でした。
昨年の玉響の会の折、
お年を召された若禄次お師匠様が、
能舞台の鏡の間でずっと見守ってくださったお礼を申し上げると、
「そういう風に育ってきたから・・・。
それが、山村流やねん。」
と、おっしゃっておられました。
昨年12月、楽正師匠がお亡くなりになり、
1年も経たないうちの若禄次師匠の死は、
お流儀にとっては深い悲しみであります。
まだ、実感は沸いていませんが・・・、
なにか、大きな節目を感じずにはいられません。
今はただ、若禄次お師匠様のご冥福を心よりお祈り申し上げるほかありません。
ありがとうございました。
― 合掌 ―
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