四月堂の千手観音様

先日、ネズミ子の会の新年会熱燗が奈良でありました。
今年は子年ということもあり、
先ず、東大寺の四月堂にお祭りされている『千手観音様』にお参りを致しました。
子年の守り本尊さまが、千手観音菩薩様だからです。
自宅の窓から東大寺の大きな屋根が見えるという、
絶好の散歩コース範囲内足跡にありながら・・・、
四月堂(三昧堂)の千手観音様のことは知りませんでした。お恥ずかしい・・・!落ち込み
実は・・・、
今年の元旦の初詣の折に、そのことを聞いていたので千手観音様を探したのですが、
見つけることができなかったのです。
まさか!四月堂にいらっしゃったとは・・・!
よく冷えた、薄暗いお堂の中に千手観音様はお在しました。
平安時代の作と伝えられるその菩薩様は、
非常に肉厚で、
よく見られる千手観音様の数多くのか細い手のイメージとは少し違い、
ひとつひとつのお手がしっかりとしていて、独特の存在感がありました。
千手観音様は、千の手と同時に千の眼を持つといわれています。
『手は第二の目』ともいいますものねキラキラ
この千手菩薩様は、もともとはこの四月堂に納められていたのではなく、
どこか他のお寺に納められていた仏様で、
その後、縁あって四月堂の前に建っている創建1300年といわれる三月堂(法華堂・羂索堂)にしばらくご安置されていたそうです。
そこから、この四月堂に移され落ち着かれたご様子です。
ひとつ気にになることがあります。
千手堂です。
過去に度々火災に遭い、1998年に焼失した仏堂の千手堂は江戸時代に建て直されたものです。
それにしても、東大寺はたびたび火災に見舞われますね!
大仏殿も幾度か火災に遭いました。
そんな中で、1300年前の建物・木造建築が残っているというのはすごいことです。
千手堂は、三月堂(法華堂)と並び大仏殿建立以前の大変古くからあった建物らしいです。
東大寺の記録である『東大寺要録』によれば、天平5年(733年)、若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。一方、正史『続日本紀』によれば、神亀5年(728年)、第45代の天皇である聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子の菩提のため、若草山麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせたことが知られ、これが金鐘寺の前身と見られる。金鐘寺には、8世紀半ばには羂索堂、千手堂が存在したことが記録から知られ、このうち羂索堂は現在の法華堂(=三月堂、本尊は不空羂索観音)を指すと見られる。天平13年(741年)には国分寺建立の詔(みことのり)が発せられ、これを受けて翌天平14年(742年)、金鐘寺は大和国の国分寺と定められ[2]、寺名は金光明寺と改められた。
              出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千手堂というぐらいだから、千手観音様と関係があるのでしょうか?
東大寺の大仏様と同じ、奈良・東大寺千手堂には盧舎那仏像が安置されていたことが諸史料から知られているらしいです。
現在の千手堂とは、異なるのでしょうか?
東大寺の大仏様のことしか知らなかったので、それよりも前に創建されていた寺院に少し興味を覚えます。
特に、三月堂・そこは、私が毎年秋に奉納をさせていただいている『手向山八幡宮様』のすぐお隣です。
そういえば、八幡様も東大寺大仏殿より歴史が歴史が古いということでした。
天平勝宝元年(749年)に、
東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請された、
八幡宮からの分社では第一号だそうです。
ただ、当初は平城宮南の梨原宮に鎮座していましたので、今の場所とはちがいます。
もうひとつ知らなかったことを案内人の方に教えていただきました。
東大寺の第14代別当が、弘法大師様だったってことです。
そして、空海も中国へ渡る前にこの東大寺の戒壇院で受戒されたとか・・・。
東大寺は華厳宗なので、真言宗のお大師様がなぜ?と思いましたが・・・、
東大寺は国分寺として建立されたので、天下泰平・万民豊楽を祈願する道場ではありましたが、
同時に仏教の教理を研究し学僧を養成する、いわば今日の総合大学のような役目もあって、「華厳」をはじめ奈良時代の六宗すべての教理が学ばれたそうです。
平安時代に入ると六宗に加えて更に天台と真言の教学も盛んに研究されるようになり、「八宗兼学」の学問寺となったそうです。
また、空海は帰国後、
弘仁13年(822) 49歳 の時東大寺に真言院を建立しています。
東大寺と空海にそんな結びつきがあるとは知りませんでした。
何も知らなかったことに、恥じらいさえ覚えますが・・・、
歴史の重みを感じ、奈良に住む嬉しさも感じています。
おおよそ1300年前の「大仏開眼の式典」の折には、
世界中の舞と楽が集合したインターナショナルな祭典だったと聞きます。
その後長い歴史の中で、融合を幾度となく重ねて日本独自の舞や音楽へと発展していった、日本の芸術の発祥と揺籃の地が奈良であり、
その様子をあの大仏様の広々とした屋根は、長年に亘り眺めてきたのか・・・と思うと、
感慨深いものがあります。
いつも、当たり前のように見てきた大仏殿の屋根が変わります!
えらいところに話はいってしまいましたが・・・、
なによりも!
私の守り本尊様・千手観音様が直ぐお近くにいらっしゃるというだけで、勇気100倍です力こぶびっくりびっくりびっくり
にんげんって勝手なものですねウインク
子年ネズミの一年びっくり
実りの多い一年にしたいと思いますハート
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