当流(山村流)では、
下手奥に座って始まります。
そのあと、丁寧にお辞儀・ご挨拶をして、古袱紗を胸元から取り出しお茶碗をその上にのせて立ち上がります。
そこから、十三歩(舞うお座敷の広さによって違いますが、目安としては十三歩です)お茶碗を手に持って歩き、上手前のお正客にお茶を出します。
このようにして、『地歌の茶音頭』の舞は始まります。
なんともいやな(失礼)、難儀な始まり方です。
振りなのか?お茶の作法なのか?・・・
それこそ、お茶の心得を持ってあくまでも舞わなければいけません。
まず、胸元から小袱紗を取るしぐさで悩みます。
そして、右膝横においてあるお茶碗に目をやり、そのお茶碗を取るという振りひとつで考えます。
あくまでも、自然に舞うということを・・・。
それからが、また厄介です。
ここが、一番難所といっていいかもしれません。
おちゃわんを持ったまま十三歩、歩む・・。
よく、先代さまから言われました。
「この歩くんが難しいねんで!ここを見て上手やなあとか、ああ下手やなあとか思いはるんやで。
ほんまに、お茶が入っていると思うて運ばなあきまへんで。」
茶音頭に限らず、舞の中できれいに歩くということ、綺麗に足を運ぶということほど難しいことはありません。
それが・・・
ましてや、お茶碗を持ってとなると・・・。
私どもでは、弟子に茶音頭を教えるときには、実際にお茶碗の中にお水を入れて稽古をしてもらいます。
お茶碗のなかのお茶がちゃぷちゃぷと動かないように、歩くという感覚・こころ遣いを感じてもらいます。
そして、地歌の曲にきっちりと合わせて止まらないといけないのですが、カウント数えているように曲と合い過ぎるのもいけません。
始めのうちは、ついつい十三歩数えてしまうのです。
これはいけません!
あくまでも、自然に品よく・・・です。
こんなことを書くと、
まあなんと難しいと思われるかもしれませんが・・・。
あれや、これやと考えることは苦しみの反面楽しみでもあるのです。
なんてことないように見える単純な振りも、実は奥が深く、魅力的です。
『茶音頭』は、この序の振りだけでなく、いたるところにお茶の作法を巧みに取り入れた振りが付けられています。
中ほどに、袱紗捌きが取り入れられてますが、ここの振りははっきりと決まっていません。自分のお稽古しているお茶のお流儀の作法に従って振りをすることになっています。
私は、裏千家のお流儀を習いましたので、裏の袱紗捌きを振りに取り入れています。
また、茶音頭に限らず、地歌舞の場合はよくあることですが・・・。
舞う場所や衣裳(役柄)によっても、ずいぶんと舞い方が変わってきます。
茶音頭の場合、着流しは別として、若い子ならば大抵は、舞妓か商家の娘の扮装で・・・。
そして、芸者の場合と、傾城でする場合と、または奥方のいでたちの場合とでずいぶんと異なります。
人物が変わるということは、心の持ち方が変わってくるので、
自然と・・・
最初のお辞儀のしかたも違えば、お茶碗を持っての歩き方(型)も違ってきます。
ただ・・・
すべてに共通することは、
あくまでもお茶の心得を持って品よく舞うということです。
でも、色気(艶)も忘れてはいけません。
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