手向山さまに思う・・・。

10月4日・土曜日に手向山の八幡様にて、
今年も、地歌舞の奉納をさせていただきます。

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手向山八幡宮さまは
天平勝宝元年(749)東大寺大仏建立のため、
九州豊前国(大分県)宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、祀られたお社ですが、
その東大寺の大きな屋根が見える所に住んでおります我が家にとっては、氏神様でもあります。
元々は・・・、
平城宮南の梨原宮に鎮座していたらしく、
      (どの辺りかとは?定かではありません。)
後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移されましたので、
ほんとうに東大寺のすぐ横に鎮座していたわけですね。
しかし・・・、
治承4年(1180年)の平清盛の命を受けた、平重衡による兵火(南都焼討)、東大寺等の焼き討ちの戦火に伴い焼失し、
そののち・・・、
建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建され、現在に至っているようです。
現在の手向山様は、東大寺千手院跡に建てられたとされています。
南都焼き討ちの翌年、平清盛は亡くなり、平家は都落ちを余儀なくします。
1184年、一の谷の合戦で、重衡は捕らえられ、鎌倉に送らました。
明くる年、平重衡は、木津川のほとりで首を刎ねられ、
奈良の般若寺の門前に梟首されました。
皮肉なことに、この場所からは、東大寺が見えるといわれています。
謡曲「千手」では、
平重衡は・・・、
「又、思はずも父命により仏像を亡ぼし人寿を断ちし、現当の罪を果たすこと、前業より猶恥ずかしうこそ候へ」
と語っています。
また、
手向山八幡宮は、古来、紅葉の名所として有名です。
その美しさを詠んだ、菅原道真の歌が遺っています。
     此の度は弊も取りあへず手向山
        紅葉の錦神のまにまに    (百人一首)
本殿の横には、菅原道真が腰を掛けた石があります。
彼は、898年(昌泰元年)10月に、
朱雀院(宇多上皇)が吉野の宮滝から、竜田山を越えて河内に入り、
住吉神社に詣でて御幸された折に随行し、
「手向山」にも立ち寄って、この歌を詠んだようです。
しかし彼は、この翌年に右大臣に昇格いたしましたが、
その3年後には、筑前国の大宰府に権帥として左遷されました。
にぎやかな東大寺とは対照的に、ひっそりと佇む閑寂びたお社ですが、
少しその横顔をを覗いて見るだけで、
歴史の重みが感じられ、感慨深いものがあります。
千年以上にわたって、
じっと・・・奈良の町並みを見守ってきたわけですから、
当たり前の事かもしれませんが・・・。

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