地歌 袖の露
白糸の絶えし契りを人問わん つらさに秋の夜ぞ長き
あだに問いくる 月は恨めし 月は恨めし
明け方の枕に誘う松虫の 音も絶え絶えにいとどなお
荻吹く風の音信(ずれ)も 聞くやと待ちて侘しさの
涙の露の憂き思い 臥してまろ寝の袖にかわかん
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『袖の露』・・・
なんとも悲しく、はかなく、侘しい曲なのでしょう。
作曲は、あの名曲『雪』で有名な峰崎勾当です。
19日に催される「ならまち格子の家上方舞鑑賞会」での演目のひとつです。
袖の露とは、悲しみの涙で袖を濡らすことの喩えです。
愛しい人と別れた女の哀しい嘆きで始まるこの曲は・・・
秋の夜長・・・
恨めしい月・・・
絶え絶えと泣く松虫の音色・・・
侘しい荻吹く風・・・
と秋の風物を次々と詠いながら、独り寝の枕(袖)を涙で濡らして乾く暇もない・・・と、切々と悲しい女心を情緒深く表現しています。
まろ寝とは、丸寝のことで帯を解かずに着物を着たままで寝ることです。
この「臥してまろ寝の袖に乾かん・・・」の最後の句が、
より一層女のはかない哀しさを印象づけています。
地歌舞では、あからさまに心の動きを表現することが禁じられています。
曲の内容、本質をよく踏まえた上で、舞手の心情や立場に無理なく表現していくことが大切です。
曲の真髄を腹(肚)におさめて、舞うということでしょうか。
袖の露・・・
きれいな振りが付けられております。
二世山村友五郎の振り付けとか・・・。
その美しい振りや型を損なうことなく、舞手の心情を肚にいれて舞うということは容易ではありません。
古典の難しいところです。
でも曲を聞いているだけで意味はわからなくても、そこはかとない侘しさにおそわれます。
名曲とは、こういうものでしょうか?
私もいつか、曲が聞こえてなくても舞を見ているだけで人にそのような感動をあたえられる舞が出来たらいいなあと憧れます。
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