なべかつプロジェクト

“なべかつ”!!!
鍋売りの活動を推進してるわけではありません。
正式名称は、
奈良“きたまち”鍋屋連絡所の活用を考える会
って言います。
私の住んでる町は、最近 奈良の中で “きたまち” と呼ばれ、
ちょっと注目を浴びつつあります。
ならまちといえば・・・、近鉄奈良駅から東向き商店街を南にぬけて広がる町並みを指ます。、
それは、
元興寺を中心に栄えた 
江戸時代の町屋この元興寺の旧境内を中心とした地域を「ならまち」と呼んでいます。
平城京の「外京」にあたり、当時の道筋をもとに発展した長い歴史を 持つ町です。
江戸時代 の末期から明治時代にかけての町家の面影を今に伝える「ならまち」 は、
訪れる人々に、ほっとするやすらぎとどこか懐かしさを感じさせます。
このならまちの観光拠点として、ならまち格子の家があります。
ならまち格子の家では、
年に2回(4月と11月)、
ならまち格子の家上方舞鑑賞会と称した『座敷舞の会』をひらいております。
ちなみに、今春は4月24日です!よろしく!!!
(≧≦) 余談になりましたが・・・、
きたまち』と呼ばれる地域は、
その反対側!
近鉄奈良駅より、北に広がる町並みを『きたまち』と呼びます。

かつては奈良の北の玄関口として、京都や大阪から来た多くの旅人が行き交い、
旅籠や商店が立ち並ぶ活気溢れる町でした。
その面影は、数多くの文化財や名勝から偲ばれます。

奈良時代の転害門(世界遺産)、
鎌倉時代の刀鍛冶、 
室町時代の南都八景、
戦国時代の多聞山城跡、
江戸時代の奈良奉行所、
法蓮格子と呼ばれる様式を用いた江戸から昭和初期の町家、
明治時代の洋風建築の奈良少年刑務所や奈良女子大旧本館(重要文化財)など・・・。


「きたまち」
には、まだまだ紹介しきれないほど!
1300年間の、あるいはそれ以前の、歴史資源や文化遺産が数多くあります
もちろん、大きな意味では、奈良の顔の大仏様も『きたまち』にはいります。

ならまちよりも、広域に渡っているので、
町全体が広々としていています。
北の奈良坂まで足を伸ばすと、
とれたての牛乳やソフトクリームが味わえる植村牧場や、
能楽の原型、翁舞のルーツが伺える 奈良豆比古神社などが点在し、
非常に多岐にわたって、楽しめる町となると思います。
詳しくは、奈良街道まちづくり研究会HPのきたまち散策マップをごらんください  

下のMAPをクリック 

       きたまちmap          

ずいぶんと、本題よりズレテシマイマシタガ・・・  ヾ(^-^;) ゴメンゴメン
下記の写真が、奈良女子大前に建つ・・・、奈良警察旧鍋屋連絡所です。

― 旧鍋屋連絡所 ―

    

鍋屋交番連絡所

この趣のある建物は、
明治30年頃に設置され、
100年余りの歴史を持つ奈良女子大学正門前の旧交番(鍋屋連絡所)です。
このたび、自治体の熱い思いで、いったん解体・修理され、、
“きたまち”の玄関口の観光拠点及び自治会活動の拠点として保存活用することが決まりました。
解体・修理後の施設の運営は、協議会を設立し、地域住民や市民、大学が協働して行い、
“きたまち”地域全体の面的な観光への効果、
奈良女子大学や隣接する建物とあわせて地域全体の景観を誘導する効果、
日常生活を送る地域住民の集まりなど地域活動への効果が期待されています。
そこで、
奈良“きたまち”鍋屋連絡所の活用を考える会
が、有志により発足されました。
私の町の自治会長様が、熱心に活動をされており、
わたくしも、昨年11月より少しでもお役に立てるなら・・・!と、
お仲間に入れていただきました。
なかなか、会合に出席できないのですが、
私なりに応援させていただこうと思います。
その活動を、略して・・・ 『なべかつ』 っと呼んでいます
今後、時折その活動の状況を、ブログ上でも紹介させていただきますので
よろしくお願い申し上げますね ★⌒(@^-゜@)v ヨロシクネ♪

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