手向山八幡宮宵宮祭・奉納舞、明日です!


明日!地歌舞の奉納させていただきますm(_ _)m


ご鑑賞、ご参拝ご自由ですので、
ぜひお参りくださいませ!
 

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手向山八幡宮転害会宵宮祭・奉納舞

 

平成25年10月4日(金)午後4時

於:手向山八幡宮拝殿

 

一、地歌 山村舞     山村 若日女

一、地歌 越後獅子  山村 若 女

 

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地歌  山 村 舞

 

ひとさし舞わん 山むらの  さす手ゆかしき 地歌舞

くの字のこしは  だいじなかなめ、

さばく扇も  おしえごと、  むかい同士に しめす振り

左手振りの  むつかしく

ちょっとそむけて うらざくら  はなのかずかず 花の丸

水の流れも  末ながくいそしみ舞いて   世々に 伝えん

【解説】

『山村舞』は、山村流のお流儀の曲です。

名取の試験曲ともなっており、私流においては大切な曲というよりは『特別な曲(舞)』です。

舞の中に流儀の真髄がこめられているようで、舞うに当たってはいつも特別な想いがあります。 

山村舞には、山村流の舞の基本となるべく所作や振りが入っています。

お稽古を始めてある程度年数がたつと(個人差があるので何年とは言えません)、
お師匠さんからこれぞと思われる方は山村舞をしっかりと稽古をしてもらい、
名取の試験を受けるというわけです。山村舞が舞えなければ、名取になれないわけです。

言い替えると、
山村舞が舞えるようになると自然のうちに山村の基本が身(実)に付いているということになります。

しかし、
この基本というのが曲者(くせもの)で随分と難儀です。
「できた!」と思っていても、毎回毎回気付かせられることがあり、構え方、足の出し方ひとつとっても、
はたと考えさせられることがあります。

ですから… 
流儀の流れを伝えていくと思ったときには、教えるということの重責を感じます。

ましてや、
自分が人前で山村舞を舞うというときはもっと難儀です。
自分のその時の技量、心持ち、境地がさらけ出されるかと思うと手も足も出なくなりそうです。

それだけにありがたい曲です。

『初心忘るべからず』の世阿弥の言葉が聞こえてきます。

山村の舞の先人達と舞を通して会話をすることを教えてくれる曲です。

舞う前には、襟を正さずにはいられず、

しかし、舞い終わると何とも言えないさわやかで

すっきりした気持ちになり

わたしは、大好きです。

水のながれのように 山村の舞が舞えるようになれたら・・・と、思っています。

毎年、交代で門人名取を代表して、この『山村舞』を舞ってもらっています。

 

地歌  越後獅子

 

越路潟 お国名物さまざまなれど 田舎訛りの片言交じり 

白うさぎなる言の葉に 面白がられしそうな事を 直江浦の海女の子が 

七つか八つ目鰻まで うむや網その綱手とは

恋の心も米山の とおき浮気で黄蓮も なに糸魚川糸魚の

縺れ縺るる草浦の 油漆と交わりて 末松山の白布の 縮みは肌の何処やらが 

見え透く国の風流を うつし太鼓や笛の音も 

弾いて唄うや獅子の曲 

向い小山の紫竹竹 枝節揃えて 切りを細かに 十七が 

室の小口に昼寝して 花の盛りを夢に見て候

(手事)

夢の占象(うらかた) 越後の獅子は 牡丹は持たねど 富貴は己が

姿に咲かせ舞い納む 姿に咲かせて舞い納む

【解説】

  作詞者不詳・峰崎勾当作曲。

  寛政元年(1789)年刊『古今集成新歌袋』初出。

越後獅子とは、角兵衛獅子のことで、越後の国蒲原郡の神社の祭礼で演じる獅子舞から転化したもので、
月潟村の角兵衛という人が始めたのでこの名があると言われています。
七~八歳の子供が派手な頭巾や上着、タッツケ袴を付け、時には獅子頭を持ちながら、
とんぼ返りや逆立ちなどの曲芸を演じた、
雪深い越後の山村から江戸や京都など都へ出てきての正月の出稼ぎでした。

角兵衛獅子の口上を下敷きに、越後、或いは日本海側の産物・名所・地名を歌い込んだ祝儀曲です。
山村流では、一文字笠を手にして始まり、羯鼓、手獅子と舞分けられていきます。
流祖・山村友五郎の振付として大切に扱われており、古風な振りがついた品良い作品です。


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