はや、師走を迎えました。
年が明けて・・・、
新春の1月26日(日)に
第10回 なら 玉響の会 を開催させていただく運びとなりました。
①奈良で地歌舞を根付かしたい!
②プロと呼ばれる若手を育てたい!
③お浚い会ではなく、公演会として成り立つ舞の会がしたい!
の3本柱を元に10年間は毎年やり続けます!と大見栄きって始めてしまった『なら 玉響の会』です。
たくさんの方々のご協力を得て、なんとか、10年続けることができました。ありがとうございます。
感謝の気持ちでいっぱいです(^O^)
今回は、記念の会として、
幕開きにお宗家様には、娘の若瑞と石橋を舞っていただくことになりました。
他のメンバーも、
10年ということで、大きな演目に取り組んでいます。
少し長くなりますが(>_<)、
玉響の会開催の趣旨を10年を振り返り、載せさせていただきました。
ご一読いただければ幸いです。
一生懸命に想いを語っていますので・・・Σ(ノ≧ڡ≦)よろしくm(_ _)m
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山村流 地歌舞 『なら 玉響(たまゆら)の会』 開催の趣旨
創流二百余年の歴史をもつ「山村流地歌舞」は、大坂で生まれた芸術です。
江戸時代の天下の台所、経済の中心であった大坂の豪商たちの新しい独自の芸術として地歌舞は創出され、完成されていきました。
かつて、貴族文化としての舞楽に対する武家の文化としての能楽が創られていったように、商人文化を象徴するものとして地歌舞が創られていきました。
室町時代から江戸時代にわたっては、最も日本の文化が花開き、日本的なるものが確立されてきた時代と言えます。
歌舞伎の名振付師であった初代山村友五郎によって創流された山村流には、歌舞伎舞踊とは別に、本流として地歌舞があります。座敷文化が隆盛を帯びた中で、能楽等の影響を色濃く受けながら、畳半畳でも舞えるといわれる地歌舞(座敷舞)を創り上げました。
そこには白拍子の舞や神楽・舞楽・田楽・散楽・文楽・歌舞伎等の伝統の舞や楽が、昇華・吸収されていきましたが、特に、舞楽や能楽や地歌舞の中に脈うつ舞の系流性と、新しさを知る事が出来ます。
神楽を学び、仕舞を修し、又地歌舞を舞う時につくづくと、その系脈と新しさを体感し実感させられます。
奈良の地は「大仏開眼の式典」を機に、世界中の舞と楽が集合し、融合を重ねて日本独自の舞や音楽へと発展していった、日本の芸術の発祥と揺籃の地です。
少し遅れて、陸路、海路のシルクロードを経て遠く、中近東より沖縄、そして大坂の堺へとたどりつき、日本の楽器として変質していった、三味線・・・。 琵琶法師や検校などによって地歌の形成がなされました。そして、白拍子、能楽、歌舞伎の流れを踏襲した、舞・・・ 地歌舞の創造がなされていきました。
私は、生まれ育ったここ奈良の地・・・シルクロードの終着点である・この古都ならの地で、舞が舞える嬉しさを日々感じております。そして、奈良で定期公演会を持って地歌舞を定着させたいと願ってきました。
文化、芸術のもつ魂、又、舞い手と地方、そして、見手の魂が出会い、触れ合い、響き合い、共感し合える舞の会、相互に内鳴りし合いつつ、うらうらと、あるいはゆらゆらとした、美しく、楽しいひとときを持ちたいという願いをこめて、万葉以来の美しい〝たまゆら〟の言葉をとり、「玉響の会」と名をつけました。
上方舞・地歌舞という言葉もご存知ない方が多いこの奈良で、毎年一回、定期公演会を持ちたいという思いから平成16年に、ご宗家様はじめ、地歌舞にかかわるたくさんの方々のご支援・ご協力のもと「なら 玉響の会」を発足し、第1回目の公演を開催することができました。
今回、平成26年1月26日(日)奈良県新公会堂・能楽ホールにて、第10回目の記念公演を迎えます。
10年続けるまでは根を上げないと宣言して、毎年途切れることなく奈良の地で公演会を開催することができましたことは、喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。その間たくさんの方々に支えられてきました。
石の上にも3年を3回繰り返し、次の新たなる1年を迎えてから結果を出し、跡を振り返って考えよう!という思いで10年間 とにかく続けてきた・・・というのが本音でございます。
10回というひとつの節目に相応しい、先人たちより大切に受け継がれてきた伝統と次代に受け継がれる新たなる希望、そして、日本・・・を感じていただけるような会にしたいと思っています。若水会一同、古都奈良での会にふさわしい舞台となるよう精進をしていく所存でございます。
ひとりでも多くの方に会場に足を運んでいただけたら幸いでございます。
何卒、皆様の御協力を賜ります様お願い申し上げます。
平成25年 師走
若水会 山村若女
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