大和神社奉納舞

yamatojinnjya (2)


梅のたよりがあちこちで聞こえ始め、
奈良ではお水取りの行事が始まりました。
さて、若水会では毎年恒例の・・・
大和神社での舞の奉納
4月7日にございます。
その日は、戦艦大和が沖縄沖で沈没した日にあたります。
同名であることから当社の祭神の分霊が艦内で祀られていたそうで、
そのときに亡くなられた2717名の英霊が末社・祖霊社に合祀されています。
午前中には・・・、
慰霊祭が当祖霊社の御前にて執り行われます。
私どもの奉納舞は・・・、
お昼の2時からでございます。
本年は 当神社とご縁をいただいて、
ちょうど27年の歳月が流れました。
大和の祭りは大和神社のちゃんちゃん祭りで始まり、おん祭りで終わると申しますが、
私の奉納も、大和神社が奉納の舞始めでございます。
今年も若水会の門人と共にもご奉仕させていただきます。
ご参拝はご自由でございます。
桜の舞い散る好季節・・・、
みなさまどうぞお参りくださいませ!
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大和(おおやまと)神社奉納舞


●日時・・・ 平成26年4月7日(月)午後2時開始
●会場・・・ 大和神社・拝殿
天理市新泉町306
TEL 0743-66-0044
●奉納演目●
地歌舞  神楽初     山村 若 女
地歌舞  山村舞     山村 若日女


※大和(おおやまと)神社は、
伊勢神宮と並ぶ最古の神社で、延喜式には「大和坐大国魂神社」と記され、
大和一国の国御魂(くにみたま)を祭る名神大社です。

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大和神社(おおやまとじんじゃ)

 大和神社は、大和一国の国御魂(くにみたま)を主神として祀る名神大社で、伊勢神宮と並ぶ最古の神社である。社伝によれば、崇神天皇の代、国内に疫病が蔓延したため、元々宮中に一緒に祀られていた天照(あまてらす)大神と倭大国魂(やまとのおおくにたま)神の神威を畏れて、二神を宮中の外に祀ることにした。崇神天皇6年、天照大神は、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)によって笠縫邑で祭祀されることになった。一方、倭大国魂神は淳名城入姫命(ぬなきのいりひめのみこと)に託して祀ることになり、神地を穴師邑にさだめた。

 だが、何故だか淳名城入姫命は髪が落ち体がやせて、この神を祀ることができなかった。崇神天皇7年、倭迹迹日百襲媛命が夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。そこで、翌年市磯長尾市(いちしながおち)に命じて鎮め祀らせたという。長尾市は大倭直の祖で神武のとき大和の大国造であった珍彦(うずひこ)の子孫であり、その後は、大倭氏が長く奉斎してきた。 この伝承からアマテラスを天神とし、ヤマトノオホクニタマを地祇とする性格をはっきりさせたことが読み取れる。

   当初の鎮座地は、現在の鎮座地の東方の山麓大市の長岡崎(現在の桜井市穴師および箸中の付近)であるとみ
  られ、後に現在地に
遷座したとされるが、遷座の時期ははっきりしない。一説には現在の長岳寺の位置であるという。   長岡崎が長岳寺付近の丘陵を指す可能性もある。

   朱鳥6年(692年)、持統天皇藤原京の造営にあたって、伊勢・住吉・紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てた。  寛平9年(897年)、最高位である正一位神階が授けられた。
   『
延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 大和坐大国魂神  社 三座」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗   の幣帛に預ると記されている。後に十六社・二十二社の一社  ともなった。

   平安初期までに、天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛した。しかし、平安京へ  の遷都藤原氏の隆盛などにより衰微し、中世には社領を全て失っていた。

 遣唐使が唐の都・長安に向けて派遣されるときは、出発に際して航海の安全をこの神社に祈ったといわれている。また、第二次大戦中世界最大の不沈戦艦といわれた戦艦大和は、守護神として大和神社の分霊を艦内に祀っていたことはよく知られている。

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