『地歌 葵上』によせて・・・

地歌「葵の上」

【地歌 葵上】

今回の第10回舞華会では、山村流では奥許しの曲として大事にされている『葵上(あおいのうえ)』を舞わせていただきます。

10回目には葵上を舞わせていただこうと決めていました。

写真は、初めて葵上を勤めさせていただいた時の衣装付けの舞台写真です。

地歌『葵上』は、地歌の中でも本行ものと言われる演目で山村流では大変重く扱われています。本行ものとは、『能』をもとに作られた曲を指し、この作品は、『源氏物語』の『葵』の帖から取材した能の『葵上』をもとに作られたものです。

内容は、前の皇太子妃であり今は未亡人となった六条御息所が、愛人の光源氏の正室・葵の上に激しい嫉妬心を抱き苦しみます。ついには生霊となって、葵の上へと迫ります。その物語を舞にしたものです。作品全体の構成は、三段に組みあげられています。第一段階は、過ぎし日の皇太子妃としての華やかさを偲び、述懐の心持から今の身の悲しさを舞います。第二段は、源氏と御息所の恋を番い離れぬ蝶にたとえ、二枚扇を使い艶麗さを見せます。第三段は、御息所の葵の上に対する激しい嫉妬の姿を表現します。御息所の源氏への愛と葵の上への嫉妬心が、賀茂での車争いに敗れた屈辱感もあいまって、抑えても抑えきれない激情となってほとばしることになります。

前後の能がかりの表現と中段の地歌舞特有の表現・剛と柔の対比を上手く見せながら、品位を失わずに高貴な女性の抑え難い嫉妬心を描くことがテーマとなります。

女性の怨霊ものとして、地歌舞にはこの『葵上』と『鉄輪』があります。

『葵上』は位の高い高貴な女性としての、『鉄輪』は、市井の少し位の低い女性の嫉妬の苦しみを描いたものとして比較されます。

能の面では、『葵上』では般若の面、『鉄輪』では橋姫の面を使用するようです。高貴な女性は、知性で抑えきれず自ら望まずながら鬼となり、市井の女性は、鬼になりたいと貴船神社に丑の刻詣までして自ら望むが鬼にはなれず・・・ということでしょうか。

私は、鉄輪の女性には、生身の自分では憎き相手を殺すことはできないので鬼と化したが、恋しい心があるゆえ鬼になれぬその心に女性としての哀れさと可愛らしさを感じます。しかし、葵上に描かれる女性は、嫉妬という醜い心を持つことも高貴な女性である故自らを否定し、それゆえその心根の苦しみには凄惨なものがあり、自分ではコントロールできない潜在意識が生霊(鬼)となってしまう業(ごう)の怖さを感じます。

今回、藤原家所縁の春日大社という神域の中で、この人間の根底に潜むテーマを如何に美しく『地歌舞』として表現できるか・・・と思っております。

葵の上・格子の家にて

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