地歌 花の旅考

京都 青蓮院門跡での『座敷舞・舞華会』での最初の演目は、春分の季節にふさわしい『花の旅』を選びました。

この花の旅は、曲調も舞振りも特に主だった変化もなく、紀行文のような舞はある意味では舞いにくい難しい曲と言えましょう。

京都島原から伊勢神宮までののんびりとした旅の風情を唄ったもので、一定の心地よい調子がその春のうららかな旅気分を漂わせます。しかし、一定のリズムの中それぞれ名所の情景を舞で表現していくには、舞の表現力としての匂いが必要となります。それは、長年の間の稽古で培われたというか、身体に染み付いた雰囲気や品(しな)、いわゆる匂いのようなものの味わいではないかと思います。もちろん、舞手本人がその情景・情緒を愉しみ、味わうことが第一ですが、若いうちはなかなかこの味わいを理解することが容易ではありません。

一人立ちでは伝えにくいこの雰囲気を、今回は二人立ちでよりその情景を鮮明にし、伊勢参宮の旅路の情緒を味わっていただきたいと思いました。

 

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地歌舞『花の旅』

「春風に なびく姿や 浅緑
好いた仕打に誘われて 思ひ立つ名の出口の柳」
で始まる『花の旅』は、京都の島原の出口の柳から、大津・鈴鹿を経て、津・松坂から伊勢神宮のある宇治山田に至る伊勢参宮の道中を歌ったもので、一種の道行物とも言えます。
宿場の名所名物を織り込んで、恋の口説を綴ったものです。

毎年春先の伊勢神宮は、たいそう大勢の人々が伊勢街道を通って詣でたらしく『おかげ参り』と呼ばれ、生涯に一度は参集すべしといわれました。
また、『抜け参り』とも呼ばれ、主人や家人に無断で飛び出し参加する〈抜参り〉も多かったといいます。
当時、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったが、伊勢神宮参詣に関してはほとんどが許される風潮でありました。特に商家の間では、伊勢神宮に祭られている天照大神は商売繁盛の守り神でもあり、農家の間では五穀豊穣の守り神でもあったため、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていました。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、伊勢神宮参詣をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていたといわれています。若い男女が大手を振って旅に出れたのですね~。

『花の旅』は、この当時庶民の間で大流行した伊勢参りの名所土産を掛詞などを用いながら、艶やかに謳いあげます。山村流では、後半本調子となる「間(あい)の土山」から振りが付けられております。間の土山は、鈴鹿山の西の山間にある宿場町。「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と鈴鹿馬子唄に唄われ、東海道のなかで箱根に次ぐ難所とされた鈴鹿峠は、特に伊勢側からの上りが急峻で、旅人たちは苦労したようです。
そこから、坂の下、関、椋本、津、雲出、松坂、小俣を通り、伊勢外宮の神前町・山田へと入ります。

今回は、若女・若瑞の母娘の二人立。山村流の二人立の振りも母娘の女同士の道行の振りで、曲調もゆったりとした同じメロディーの繰り返し、時空を超えてのんびりとした春の旅気分を味わっていただければと思います。

【歌詞】

<本調子> ~あいの土山雨にしっぽりと、大竹小竹坂の下、心のたけはつくされぬ、筆捨て山のその中を、関にせかるる椋本(むくもと)の、娘心の一筋に、津の町通る阿弥陀笠、人目かまはぬ旅の空、雲津(くもづ)の河を高からげ、又の泊まりは松坂と、黄楊(つげ)の櫛田も通り過ぎ、かみに油の口上手、煙草入れ売る小林屋、おじもおばばも買うてゆく、数はつもるに限りなき、神の恵みの山田へ

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